ナイジェリア出身のシンガーソングライター、ジョニー・ドリル(Johnny Drille)は、教会での初期の音楽活動からメインストリームへと確固たる一歩を踏み出すまでの道のりについて、率直な思いを語りました。2025年10月、彼はポッドキャスト『CreativiTEA』に出演し、単に音楽の創造性についてだけでなく、信仰と芸術表現の自由について深く掘り下げた議論を展開しました。
ドリル氏は、自身の深い精神性と教会活動への参加について言及しつつも、彼が追求するユニークなサウンドが、従来の礼拝形式には必ずしも適合しなかったと指摘しています。彼は、愛をテーマにした音楽もまた祈りの形になり得るという信念を持っていましたが、時には批判に直面することもあったといいます。彼は、「愛は信仰の対極にあるものではなく、むしろ信仰の息吹そのものです」という印象的な言葉を残しています。
彼は教会界に対し、芸術に対する視野を広げるよう提言しました。真の精神性とは、心と心をつなぐ地上の愛をも包含していると改めて強調したのです。さらに、キリスト教文化の枠組みの中であっても、人間的な優しさや、人間関係の機微、そして生きることの喜びについて表現することは可能であると力強く述べました。
音楽ディレクターとしての初期の歩みを振り返り、ドリル氏は、自身の初期のサウンドが伝統的な規範に合致していなかったことを認めました。しかし、まさにこの型にはまらない経験こそが、彼自身の誠実さ、大胆さ、そして内なる調和を追求する独自の音楽の道を形成する助けとなったと述懐しています。
また、ドリル氏は、アフリカのアーティストが直面する経済的な課題という重要なテーマにも触れました。ナイジェリアでは100万回のストリーミング再生が300ドルから400ドルの収益しかもたらさないのに対し、米国や英国ではその額が5000ドルに達する可能性があるという、深刻な収益格差の現状を明らかにしました。それにもかかわらず、彼の言葉によれば、音楽の真の価値は経済的な数字ではなく、人々の心に与える影響によって測られるべきだと主張しています。
彼の創造的な活動は、精神的なものと人間的なもの、すなわち天と地を結ぶ架け橋であり続けています。純粋な心から発せられる愛は、それ自体が祈りであるという普遍的なメッセージを、彼の音楽は私たちに静かに、そして力強く伝えているのです。