ブルガリア南部で紀元前2世紀のトラキア戦士の墓が発見される

編集者: Ирина iryna_blgka blgka

ブルガリア南部のカピタン・ペトコ・ヴォイヴォダ村近郊で、紀元前2世紀のトラキア戦士の墓が発見され、考古学界に大きな興奮をもたらしています。この発見は、同国でこれまでに知られている中で最も豊かなヘレニズム時代の埋葬例とされており、古代トラキア文化の精緻さと、当時の社会構造、そしてローマ世界との複雑な関係性を浮き彫りにしています。

この墓は、カピタン・ペトコ・ヴォイヴォダ村の近くで、電力ケーブル敷設工事に伴う緊急発掘調査中に、ブルガリア科学アカデミーのチームによって発見されました。墓の規模は3メートル四方、深さ1メートルで、高位のトラキア戦士または支配者が、愛用の戦馬と共に、数多くの貴重な副葬品と共に埋葬されていたことが示唆されています。戦士は35歳から40歳と推定されており、その遺体の傍らには、彼の忠実な戦馬が左側に配置されていました。この馬もまた、神話的な場面を描いた金、銀、青銅のメダリオンで飾られており、当時の馬に対する敬意と、その社会的地位の高さがうかがえます。

発見された遺物の中でも特に注目されるのは、銀メッキされた豪華な月桂冠、銀製のブレスレット、指輪、そして精巧な装飾が施されたフィブラ(留め金)です。さらに、柄に金象嵌が施され宝石が埋め込まれたギリシャのマカイラ(湾刀)は、その卓越した職人技を示しています。馬の装具には、ヘラクレスが巨人アンタイオスを打ち倒す場面を描いた高浮彫りの青銅製額板など、ギリシャ神話のモチーフが見られ、当時の文化交流の広がりを示唆しています。これらの遺物は、単なる装飾品ではなく、戦士の地位、信仰、そして広範な交易ネットワークへの参加を示す証拠となっています。

この地域では、昨年も同様の重要な埋葬が発見されており、今回の発見は、この地が後期ヘレニズム期におけるトラキアのエリート層の王朝的なネクロポリス(共同墓地)であった可能性を示唆しています。考古学者たちは、これらの発見がトラキア文化の理解を深めるだけでなく、地域固有の伝統とローマの影響との相互作用に関する新たな問いを投げかけていると指摘しています。特に、トラキア人がローマ帝国の軍事力、とりわけ騎兵としてどのように貢献し、その過程でローマ化が進んでいったのかという点は、今後の研究課題となるでしょう。

現在、これらの貴重な遺物は警察の保護下で修復作業が進められており、最終的にはトポロヴグラード歴史博物館に特別に準備された展示室に移される予定です。この発見は、古代トラキアの豊かな文化景観と、ヨーロッパ史におけるこの地域の歴史的重要性をも改めて浮き彫りにするものです。それは、単に過去の遺物を掘り起こすだけでなく、時代を超えて受け継がれる人間の創造性と、異なる文化が交錯し、新たな価値を生み出す普遍的な営みを私たちに示唆しています。

ソース元

  • ARTnews.com

  • BTA

  • BTA

  • The Sofia Globe

  • Archaeology News Online Magazine

  • National Archaeological Institute with Museum

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