信念が知識へと変わる時についてお話ししましょう。

❓ 質問:

私は今、高い波動を保つように努めています。宇宙が私の幸せで喜びに満ちた人生を、一体どのように具現化してくれるのか興味が尽きません。まさに毎日が喜び、幸福、そして豊かさに満ちあふれた生活……。ああ、想像するだけで……。
宇宙がそれを創造し、形にするのをあるがままに任せています。この好奇心に満ちた、素晴らしい奇跡を待ちわびる「予感」の状態が心地よいのです。しかし、心の奥底には、自分が世間で言う「おめでたい人」のようにされてしまうのではないかという、拭い去れない不安(厄介な疑念)が潜んでいます。そういう人たちも、確かに毎日楽しそうではあります。馬鹿げた心配だとは分かっていますが、この不安をどうにかしたいのです……。
❗️ leeからの回答:
あなたは「信念」と「知識」を対極のものとして捉えていますが、知識は常に信念よりも強力なものです。あなたの現在の知識は「幸せは外の世界にある」という前提に基づいています。そして現在の信念は「自分の周波数が創造する力を持っていると信じている」という状態に留まっています。
これが逆転した時、自分自身の真の力に関する「知識」が、あなたの夢を瞬時に現実化するようになります。そうなれば、実現のためにあえて信じるというプロセスすら必要なくなります。せいぜい、より壮大な何かを信じることに興味が湧く程度でしょう。
ですが今は、日々のあらゆる出来事の中にプロセスの詳細を観察しようとする「意図」を持つことで、現在の信念を「絶対的な知識」へと変えていくのが最善です。
私は時々、ウェビナーの内容を繰り返していると言われることがありますが、ここには螺旋(スパイラル)の論理があります。私たちは「知識」を土台にするために、一段ずつ階層を登っているのです。これは新しい意識を構築することによって形成されます。それは一歩一歩が確実に「知識」を積み上げていくため、後戻りすることはありません。何よりもこれは「自己を知ること」についての話であり、螺旋を一段登るごとに自覚が深まり、内面を形作るとされる「外部」への信仰から遠ざかっていくのです。
そのような信仰は、奴隷制度のような社会のパラダイムの中で形成された経験という名の「知識」に基づいています。ここで言う「奴隷的」とは、自由意志が介在せず、外部要因に完全に依存している状態を指します。かつての社会はそのようなものであり、知識の錯覚を作り出していました。今、私たちはその錯覚を抜け出し、「自分自身についての真実の知識」へと向かっています。
つまり、自分を知っていれば、創造するために努力する必要など全くなく、一分一秒をただ楽しむことができるのです。「波動を保つ」必要すらなく、あなたはただ、その波動が具現化していく恍惚感の中に身を浸すことになるのです。




