「都合のいい部分だけを読み、あとは魚を包む紙にする」:なぜ私たちの精神は、歴史の中に自分の信じたいものしか見出さないのか?

作者: lee author

「都合のいい部分だけを読み、あとは魚を包む紙にする」:なぜ私たちの精神は、歴史の中に自分の信じたいものしか見出さないのか?-1

研究者の鏡:いかにして個人的な信念が預言者を独裁者に(あるいはその逆に)変えるのか

「都合のいい部分だけを読み、あとは魚を包む紙にする」:なぜ私たちの精神は、歴史の中に自分の信じたいものしか見出さないのか?-1

❓質問:

Leeさん、ユリア・ラトニナがキリストを危険なカルトの指導者として描き、様々な史料を引用して論じている著書について、どのようにお考えでしょうか。

❗️Leeの回答:

非常に優れた分析的な調査ですね。そしてこの種の内容によくあることですが、独自の視点を構築しようとする強い意欲が、特定の解釈を生み出しています。また、自説の正しさを証明しようとするあまり、いわゆる「事実」を強引にこじつけてしまっています。つまり、この本では文脈を完全に無視した恣意的な引用によって仮説が裏付けられているのです。史料の取捨選択も顕著で、「ここは読むが、ここは読まない、ここは魚を包むのに使う……」といった具合です。

この本の主旋律は「私はすべてを破壊するために来た」というものです。キリストという人物像は、権力を掌握し損ねた潜在的な独裁者による、極めて功利的な野心の持ち主として描かれています。したがって、いわゆる「奇跡の出来事」はすべて「扇動的なプロパガンダ」として片付けられ、「隣人を愛せ」という論理もカルト教祖による巧妙な罠に過ぎないとされています。

これは、人間の精神がいかなる状況(歴史や出来事)からでも、望み通りの形を作り上げることができるという、実に見事な例だと言えるでしょう。情報が専門的な武器へと変貌を遂げた現代において、こうした手法は驚くべきことではありません。ラトニナ氏が、間接的にゲッベルスや現代の情報機関関係者の「師」となったプロパガンダの創始者に関する著作を持っていることも、象徴的です。

実際、私たちは人間の精神が、自らが信じているものに基づいて現実をいかに構築するかという事実を目の当たりにしているのです。

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ソース元

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